北国の本屋の息子として生まれました。
物心ついて以来、興味の赴くまま、分野に関係なく情報を漁ってきたのはその生い立ちのせいかもしれません。
早く親元を離れ、挫折を体験した十代の後半から、肥大したエゴの関心は自然にこの世の根拠に向かいました。いつかその蟠りは
<何故にすべては始まってしまったのか?>
という問いとも言えぬ思いへと結晶してゆくようでした。
「別に、無くても良いではないか、こんなもの」といった屈託だったのでしょう。
宮沢賢治と『正法眼蔵』を自国語で読めるの日本人の生まれ甲斐と思っていたマインドは、やがてカフカを読み、ドストエフスキーを読むようになりました。
いちばん好きなドストエフスキーの作品は『白痴』でしたが、最大限の振幅で共振したのは『カラマーゾフの兄弟』の次男イワンの思考でした。
「大審問官」の章でイワンが弟のアリョーシャにしたあの“幼児の苦痛”の話を読んだとき、当時、埴谷雄高好きになっていた管理人のマインドは全身で共振し、全細胞が同意を叫んだのでした。
おねしょをして折檻された幼児が、押し込められた便所の中で、「神ちゃま」と助けを求めるとき、その幼児の苦痛を正当化できるような神の法則があったとしても、自分にはそんなものは受け入れられない、というあのイワンの言葉に。
あれからずいぶんの時間が流れ、いっぱしのスピ系オタクになった管理人のマインドを、たくさんの物語が通りすぎ、さまざまな観点や観念が通り過ぎてゆきました。
物語にはいろいろ包含関係もあるようでしたが、どんな物語も「二元性の原理」の枠組みのなかでしか展開できないことも確かでした。
つまり、あらゆる現象は「在るもの」を表現することはできない、と言うこともできます。
と同時に、あらゆる現象は「在るもの」と別のものでもありえないわけです。
いろいろな物語がありましたが、そんなさまざまな物語のなかでも、地球はかなり特殊な星であるようでした。
そして大小さまざまなサイクルの節目がここで重なり合って、ここで大きな反転が起こるようなのでした。
これまでのかなり珍しかった地球の状況もここで大変化を迎え、これから地球は愛の星へと反転してゆくようです。
ある意味では、思考は次元そのものでもあります。
そしてあらゆる次元は<いま・ここ>に実存していて、別にどれが正しいわけでも、間違っているわけでもないわけです。
管理人の知覚範囲に入ってきたさまざまな話題に触れながら、そんな情報を伝わる言葉でお届けできたらと願っています。
翻訳書:『信心銘』(1989年1刷,禅文化研究所)、『私が愛した本』(1992,OEJ刊)、
『ゴールデンチャイルドフッド』(1989年,REJ)、『神秘家の道』(2009年,市民出版社刊)、
『神秘の次元』(1992年,日本ヴォーグ社)他。
投 稿:「『得』の経済学」で第1回『SAPIO賞』受賞。(「SAPIO」1991年12月26日号発表)
著 書:『21世紀へ指導原理OSHO』(1994年,牡神社刊)。
『ネオジパングの夜明け』(筆名高遠哲+グループ・ホロス:1998年,コスモ・テン刊)。
サイト:アセンション資料館(ascensionkan.com)
・まぐまぐ配信の週一メルマガ『アセンション館通信』は1000号を超える。